一社)全日本建築士会 60周年記念事業
シンポジウム「倉吉市役所 建設の記憶をたどる」- 東京会場報告
一般社団法人全日本建築士会設立60周年記念事業として、去る令和元年11月23日(土)東京都新宿区にあるシチズンプラザ1階ホールにおいて「シンポジウム・倉吉市役所建設の記憶をたどる」が開催された。
シンポジウムは、本会会長・上岡秀休氏及び本会理事・本会倉吉支部長・倉恒俊一氏の挨拶から始まり、次に基調講演「地域の核としての倉吉市庁舎の歴史的意味」が本会専務理事・中村光彦氏によって行われた。
基調講演の概要は、倉吉市庁舎が建設された当時の建築界の様子について丹下健三が設計した広島の平和祈念館、香川県庁舎、旧東京都庁舎などを紹介しながら、倉吉市庁舎の歴史的な位置づけについて考える上で欠かせない丹下の建築に包含される近代と伝統について、我が国における伝統の原点としての伊勢神宮や桂離宮の例を挙げ、倉吉市庁舎と比較しながら丁寧に説明がなされた。
更に、伊勢神宮や桂離宮を高く評価したブルーノ・タウトの話も紹介された。 また、民主主義の象徴としての市庁舎と都市の核としての広場との関係についても触れ、イタリアの中世都市国家の広場と市庁舎との関係の例としてシエナのカンポ広場等の例を、写真を使って詳しく紹介し、広場・庁舎・教会等の成立の経過について、多くの写真を使って説明がなされた。
これらの写真は、普段見ることのできない貴重な写真が多く、このシンポジウムの参加者の中には「お話が大変分かりやすく、美しい写真が見られてとても良かった」と話される方も見られた。
次に、活動報告「倉吉市庁舎 議会棟 震災復旧工事 設計管理を体験して」が本会正会員・生田昭夫氏によって行われた。その概要は以下の通りである。
倉吉市庁舎は、岸田日出刀・丹下健三の設計、大林組の施工により、1965(昭和31)年に竣工したが、岸田日出刀・丹下健三の連名の設計はこれが唯一の例といわれている。市役所は、耐震補強工事が終わっていたが、平成28年10月21日の地震で議会棟の柱頭8本が崩壊し、その改修工事の設計をするのに必要な資料、当時の図面・工事写真等設計図書が倉吉市役所に全く残っていなかった。そこで、地元の新聞を通して当時の写真や資料の提供を呼びかけた。それにより、当時の写真約34枚や8ミリ(50分)に記録された工事の映像が見つかった。この貴重な資料を、本部の協力を得て、小冊子(37頁)とDVD(19分)にまとめた。
この設計に丹下がこだわった「市民のための市民の市庁舎を作る」「戦後民主主義をかたちにする」「市庁舎には広場が要る」ということを具体的にどう設計したのかについて、当時の資料を元に説明がなされた。具体的には、行政棟と議会棟を分離し、市民が地下足袋でも作業服でも自由に議会所に入り傍聴できる平面を提案したことなどが挙げられる。
これらの後、パネルディスカッションが行われたが、倉恒氏より倉吉市庁舎におけるコンクリート工事の精度の高さについても詳細に紹介され、更に、参加者からの熱心な質問が相次ぐなど、熱気に溢れたものとなった。