本会とベトナム・フエ遺跡保存センター共催による第三回日越伝統木造建築交流会議が、2014年11月イタリアのフィレンツェで開かれるユネスコ・イコモス委員会への準備会議として、イコモス委員等の参加を得て、2014年10月25日にベトナム中部のトゥアティエン=フエ省にて全日本建築士会の会員など9名と王宮などの歴史的建造物群を監理する同省のフエ遺跡保存センターの関係者20名以上の多数の関係者の参加により開催された。
講演者
会議の当日、王宮内の現在も修復が続けられている午門や修復中の建物をフエ遺跡保存センターの所員の案内のもと見学を行った。
建中樓跡、修復中の午門、修復中の太祖廟を現地調査し、日本側参加者とベトナム側参加者双方の間で、修復へ向けての具体的な意見交換がなされた。阮(グエン)朝王宮はフォーン側の北岸にあり、十七世紀ごろから造られた城塞を、阮朝の支配となった1803年から二十数年かけ、北京の紫禁城をモデルとして大規模に増築した王宮であり、約600m四方の堀と城壁で囲まれています。四方には南の「午門」をはじめ四つの門が造られました。王宮の正門にあたる午門は、高さ約十七mの石畳状の二層式の中国風の建物で、五つの門口のうち、皇帝のみが使用する中央の門には鳳凰が描かれています。1945年、十三代バオダイ帝が、全土に向けて阮王朝の終焉を宣言したのもこの門である。ベトナム戦争でほとんどの建物が破壊されてしまったが、現在行政が行われていた太和殿や歴代皇帝を祀った世祖廟などが復元されている最中である。王宮全体の復元作業は今も続けられている。
太祖廟はフエの阮朝王宮内の太和殿の東側に南向に位置しています。背後(北側)には肇祖廟が控えています。1802年に仮に建立され、その後1804年に肇祖廟とともに改めて建立されました。太祖廟は明の太祖廟の制度に倣っています。1807年には黎文豊を責任者として太祖廟が修復され、1819年にも張進宝・阮文雲・阮科明らによって修復され、その徭役にあたった兵士に銭5,000緡を賜っています。この時祭器もまた修理されています。1820年には太祖廟の神厨・神庫が修理され、1823年にも修理が実施されています。太祖廟は歴代阮主を祀っており、歴代皇帝を祀る世祖廟とは中央軸に対して東西対称に位置しています。1889~1907年に修復が行なわれましたが、1947年にフランス軍との交戦によって破壊されました。現在太祖廟は復元されていますが、瓦屋根はトタン屋根になる等、状態はよくありません。阮朝の初代皇帝であるザーロン帝が最も重視した太祖廟は、現在では荒廃を極めています。ただし付属施設の隆徳殿は1832年建立当初の姿を留めています。
| 10月24日 | 9:30 17:10 | 成田発 HUE ホテル着 |
| 10月25日 | 8:30 13:30 | 第3回日越伝統木造建築交流会議 修復中の建物の見学・現地調査 |
| 10月26日 | 8:30 | ハノイ市内自由視察 |
| 10月28日 | 8:30 0:20 | 民族博物館視察 ハノイ発 |
| 10月29日 | 7:00 | 成田着 |